2006年2月27日(月) |
アウトドア日記の表示方法を変更 |
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2006年2月26日(日) |
読書感想 「大学病院が患者を死なせるとき」 |
筆者 近藤誠 慶応大学医学部講師
著作 「患者よ、がんと闘うな」など多数。
裏表紙に「(略)。大学病院を舞台に、たった一人で医学界の常識や権力構造と戦いつづける医師の、壮絶なる闘争物語」とあるように、自身が記述した自伝である。
放射線治療の有効性や、抗ガン剤の副作用なども詳しい。
この本を読んで、良かったと思う。
もし、自分がガンになったら、医者の言いなりにならず、自分でもできる限り治療方法を研究することが必要であると実感した。
あまり効かない抗ガン剤を多量に投与され、ガンよりも副作用に苦しむことになり、そのために衰弱して死期を早めるのは本末転倒である。抗ガン剤を使わないほうが、結果的に長生きできるケースも考えられる。
手術が万能でないこと、切らずに治療したほうが身体機能を失うことなく、闘病生活を楽におくれるなどの利点があることも慎重に検討する必要があると感じた。
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2006年2月25日(土) |
飛行安全セミナーに出席 |
日本航空機操縦士協会(JAPA)北海道支部主催の第27回飛行安全セミナーに出席した。
場所 札幌ANAホテル
札幌丘珠空港の気象および航空管制について、担当している自衛隊部門の担当者から詳細な講演があった。
仕事柄とはいえ、豊富なデーター類には驚かされた。
GCA(無線による着陸誘導)についても、管制席のスクリーンを主体にしたビデオの放映があり、認識を新たにした。
今年は、是非一度GCA着陸の訓練をしたい。昨年は、山登りばかりしていて、あまり飛行クラブの方には顔を出していなかったので、今年はもう少し真面目にやろう。
講演後の懇親会も出席。
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2006年2月22日(水) |
GOOに新たにブログを開設した |
最近はやりのブログ(BLOG)がどういうものか研究するため、試しにGOOでブログを開設した(無料)。
画面は文字が基本であるが、HTMLもある程度まで利用できるので、複数の写真やテーブルなども表示できる。
利用できるメイン画面が多数用意されているので、どれを使うかしばらく迷ってしまったが、個人が自由にレイアウトを設定できる画面も用意されており、色々と配慮されているのが感じられる。
詳しいHTMLの知識が無くても、設定画面で簡単な登録をするだけで使用できるようになっているのは、大変便利であると思う。
取り敢えず、本ホームページの「アウトドア日記」の内容を移植した。
http://blog.goo.ne.jp/moiwa6707/
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2006年2月11日(土) |
山登りはしばらくお預け!! |
今年の冬は、身体のケアのために費やすことになってしまった。
昨年の12月30日に左腹部に一時的な痛みがおき、すぐに回復してその後再発はしなかったが、念のため今夏に予定していた2年ぶりの大腸検査を早めて1月に受けることにした。
白石肛門科胃腸科病院
1月17日 大腸検査(良性ポリープを切除)入院
1月20日 胃カメラおよび腹部の超音波検査
超音波検査の結果、前立腺の肥大が見つかり、かなり肥大しているので専門医の診断をすすめられた。
同時に左側の腎臓にも小さな結石があるのが見つかった。
当日午前中に退院し、そのあしで紹介された病院で診察を受けた。
三樹会病院
1月20日 受診。検査の結果入院・手術をすすめられたので、1月23日(月)に入院することにした。
1月23日 入院
1月25日 前立腺手術
1月30日 腎臓結石の超音波破壊治療
2月10日 退院
医師から、春まで登山の禁止を言い渡された。
個人的には、手術後2ヶ月経過した時点で、藻岩山でトレーニングを開始することとした。
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2006年1月5日(木) |
読書感想 「日本の戦争力」 |
著者 小川和久
自衛隊の現状の装備から、陸海空に分けて具体的な戦力を考察している。
やはり、防空能力と対潜水艦能力が飛び抜けているが、それ以外の戦力は近隣諸国が懸念する必要のないレベルにあると感じた。
陸上部門については、国内のテロ対策や、沿岸からの侵入対策を強化することが急務であると感じた。
また、近隣諸国に対しては、日本国外への進出手段も能力もないことを、もっと説明することが必要と思う。
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2006年1月1日(日) |
これより2006年(平成18年) |
しばらく中断していたが、ぼちぼち記入することとした。
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2005年1月26日(水) |
藻岩山(小林峠) |
旭山記念公園から小林峠を往復した。
T6分岐からは全く踏み跡が無く、雪も深く平均して膝ぐらいまであった。
小林峠近くのトラバース(夏道)では雪が深く苦労した。
旧道の立入禁止の看板まで行き、そこから引き返した。
目印テープを数カ所に取り付けた。
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2005年1月24日(月) |
藻岩山登山(旭山) |
スノーシュー装着
小林峠に行く予定であったが、1/3程度で引き返して藻岩山に登った。
稜線づたいに行ったが、途中で稜線から下りる所でそのまま行ってしまい、暫くして気が付いて引き返し正規のルートに戻った。
夏道の場合は、トラバース道から稜線に上がってそこから下がるので比較的分かり易いが、積雪が多いため始めから稜線づたいに歩いていて、その地点を見過ごしてしまった。
今回、目印テープをしっかりつけてきたので、次回からは大丈夫と思う。
注意力不足を反省。
旭山記念公園の入口の前の道路を除雪して駐車した。
時間が早いためか私一人であったが、その後乗用車が1台上側につけた。登山する様子もなかったので、もしかしたら市役所の人が駐車状況を見に来たのかも知れない。
早く公園の駐車場を開放して欲しいものだ。
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2005年1月21日(金) |
濃昼の滝アイスクライミングに参加(ツアー) |
濃昼の滝のアイス(ツアー)に参加した。
Hガイド、Tさん、Nさん、私の4名。
滝の中腹にある4〜5mの垂直壁でNさんは完登したが、私は1m程度で断念した。
Nさんのコースより僅かに右よりにコースをとったため、手がかりが無く断念した。
コース取りが大事であることを痛感した。
ビレイロープを直す際に、バイルを手にぶら下げて手を大きく振ったため、バイルが踊り手袋の紐と絡み解くのにかなりの時間がかかったのも疲労を蓄積させる原因となった。
次回は、手袋はアウターの中を通して着用するようにしたい。
私は、プラ靴(スカルパ)とアイゼン(M10)の初使用であったが、特に問題は無かった。
Nさんもアイゼンが初使用であった。
アイゼンにスノープレートを装着していなかったので、雪が団子状に着いて困った。
(1月22に入荷したので、装着した)
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2005年1月19日(水) |
インドアクライミング(単独) |
レインボークリフでボルタリングの練習をした。
TさんとTさんの友人に会った。一度Tさんのビレイで黄色限定でトライしたが、途中で断念した。
次回に、ボルタリングの練習帖の見方を教わることにして、3時間ほどで終わりにした。
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2005年1月18日(火) |
藻岩山・小林峠 |
慈啓会病院登山口→T6分岐→小林峠→T6分岐→藻岩山→慈啓会病院
T6分岐から小林峠間は、踏み跡が全くなく雪も少し締まっており、スノーシューもあまり埋まらず大変歩きやすかった。
踏み跡のない所を歩くのは、何時も大変気持ちが良いものだ。
慈啓会病院登山口から藻岩山へのGPSの軌跡も連続した1本のデーターで記録された。
慈啓会病院 09:01(6本爪アイゼン)
T6分岐 10:00(スノーシュー)
小林峠 11:11
T6分岐 12:32(6本爪アイゼン)
藻岩山 13:17
慈啓会病院 14:02
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2005年1月16日(日) |
加車山スノーシューツアーに参加 |
カルルス温泉近くの加車山のスノーシューツアーに参加した。
事前に地図で調べたとおり、なだらかな山容で実質上昇量も約320mとあまりにもあっけない登山であった。
往路1時間10分。合計時間2時間52分。
参加人員 男性4名、女性6名(計10名、ガイドを含む)
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2005年1月11日(火) |
雄冬海岸アイスクライミング |
日帰りでアイスクライミングに参加した。
Hガイド、Tさん、Nさんの4名。
4名でアイスクライミングを行うのは、初めてであった。
始めにややきつい斜面30mをロープ確保で登り足慣らしをする。
それで一旦斜面の下に戻り、Hガイドが滝の上までのルートにロープを張る。
Nさんは30m部分からほぼ垂直になっている部分の登攀の最初の部分でリタイアした。
そのため、下りは自力によるクライムダウンになり、確保器がロープダウンに対応していないため、たるむ程度に緩くされ墜落時のみ確保される方式であったので、下降の時間もかかり、手足の負担も大きく大変緊張を強いられることになった。
私も、30m部分からのほぼ垂直部分に取り付き、1個目の確保地点まで登りロープを掛け替えたが、登りきれそうにもなかったので、余力のある内に断念することとしてクライムダウンしたが、かなり大変であった。
最後にTさんが登り切り実力を見せた。
HガイドとTさんは2本爪アイス用アイゼンを使用しており、Nさんと私は縦走用のアイゼンを使用していた。
やはり、このようなきつい登攀ではアイゼンの差も出ていると思われるので、プラ靴と2本爪アイス用アイゼンを購入する事にした。
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2005年1月8日(土) |
藻岩山 |
旭山記念公園の駐車場が使えないため、慈啓会病院コースを登る。
慈啓会→藻岩山→旭山記念公園→慈啓会
旭山記念公園の駐車方法を何とか解決する必要がある。
慈啓会→分岐 ツボ足
分岐→藻岩山 6本爪アイゼン
藻岩山以降 スノーシュー
T6分岐から小林峠方向にツボ足の跡があった。
Hガイドに「アイスのスケジュールは何時でもOK」のメール送信。
インターネットで注文していた「携帯用長靴」が到着した。
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2005年1月7日(金) |
寝袋購入 |
石井スポーツで寝袋を購入した。
ウエスタン マウンテニアリング製 −26度C対応。
60リットルザックに格納してみた結果は、次のとおりであった。
「OSPREY ARIEL60」には、どうやっても横置きには入れられなかった。ザックが細身のため、やむを得ない結果であった。
「SERRO TORRE」はかろうじて横置きで入ったが、かなり苦労した。防水用ビニールに入れて格納するのは困難かもしれない。
寝袋を直接圧縮袋に入れて、圧縮するのがベストであった。
しかし、やはり嵩張るので、ザック1個の山行では他の用具が入らず60リットルザックでは厳しいと思われる。
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2005年1月6日(木) |
秀岳荘で買い物。なかの耳鼻咽喉科で受診。 |
秀岳荘で以下の買い物をした。
ダイアモンド社の3段式ストック(ワンタッチ式調節)(2本一組)
冬用スパッツ(秀岳荘オリジナル)
モンベルイヤーウオーマ(帽子)
モンベルスノーシューサックM
モンベルインナーグローブ
ストック用VARIANT GRIP 2個
ストック先端用ゴム
喉が不調のため、「なかの耳鼻咽喉科」で受診した。
声帯が少し腫れており、3週間分の薬をもらった。
小型のスコープで喉の検査を受けたが、通院不要とのことで安心した。
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2005年1月5日(水) |
藻岩山 |
藻岩山を旭山記念公園から登山した。
新雪が積もり道が不明瞭になっていた。
スノーシュー着用。所要時間:往路2時間30分、復路1時間30分。
藻岩山最後の登りで、上から下りてくる女性あり。反対側から登って、旭山公園コースの途中まで行ってから同じ道を戻るとのことであった。
復路で確認したところ、NO.2ピークまで踏み跡が付いていた。この女性とは、慈啓会分岐を過ぎた地点ですれ違った。
旭山記念公園が閉鎖中。工事のため閉鎖にしたとのことで、工事車両が通過するので、ゲート前の駐車は遠慮して欲しいとのことであった。(作業員談)
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2005年1月1日(土) |
藻岩山・初日の出登山 |
藻岩山山頂で初日の出をむかえるため、旭山記念公園コースから登った。
自宅出発 04:40
駐車場出発 05:30
山頂到着 06:50(日の出は07:00頃)
駐車場到着 08:17
登り初めて最初の急傾斜を登り切ったところで、6本爪アイゼンを装着する。
頂上手前で一時東側の視界があって希望をもったが、結局再度雲の中に入り、初日の出は見られなかった。
慈啓会コースからは、多数の登山者あり。ロープウエイが運転しているため、一般の人も大勢いた。
仏堂の中は、関係者と思われる多数の登山者がおり、飲食などをしていた。
お賽銭をあげて早々に引き揚げた。
次回は、もう少し早く出発する必要がある。
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2004年12月29日(水) |
銀河の滝アイスクライミング |
12月28日〜29日層雲峡の銀河の滝でアイスクライミングの練習をした。
28日は水量が多いため渡渉を断念して、別の滝の偵察と氷の斜面の歩行訓練を受けた。
駐車場で雪上テント泊。気温−14度C以下。
29日渡渉用のビニールを購入して渡渉した。
Hガイド・T氏両名ともビニールの底面が破れて浸水し、Hガイドは浸水軽微のため続行したが、Tさんはインナーまで濡らしたため、リタイアして車に戻った。
私はオーバーブーツを持参したので、問題なく渡渉できた。
銀河の滝は、1ピッチ目だけ登り、懸垂下降した。
上部はまだ不適とのことであった。
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2004年12月26日(日) |
ツアー山行は不参加 |
申し込んでいた本日の朝里天狗山のツアーは、既に定員の申し込みがあり「キャンセル待ち」の状態であったが、結果的にキャンセル者がなく参加できなかった。
昨晩Hガイドより、近々層雲峡でアイスクライミングの練習を計画しているので、本日夕方までにメールするとの電話連絡があった。
本日14時からマンションの塀の件で会合があり参加した。
除雪機械が塀を少し押しており、若干ズレが発生しているため、除雪業者に塀を押さないように申し入れた。
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2004年12月24日(金) |
藻岩山 |
前日に降雪があり、自宅出発時にアイゼンとスノーシューの両方を準備して出発した。
結構雪が積もっており、全行程をスノーシューで通した。
私の後を、ツボ足で登ってくる女性がおり、T6分岐で言葉を交わした。
旭山記念公園から慈啓会コースとの分岐までは踏み跡がなく、結構つかれた。
復路の時点で、T6分岐から小林峠へのスノーシューの踏み跡ができていた。
私も当初は小林峠に行く予定であったが、26日にツアー参加予定であるので、疲労を考えて予定を変更した。
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2004年12月22日(水) |
藻岩山 |
6本爪アイゼン装着。
強い寒気の中に入っているため、日中の最高気温が−5度以下であった。
今冬初めてインナー手袋を着用したが、復路で一時指先が冷たくなった。
T6分岐から小林峠への登山道の踏み跡は無かった。
雪の状態からみて、小林峠への登山道の踏み跡は完全に消えているものと思われる。
26日にスノーシューツアーに参加するので、24日に天気が良ければ小林峠に行ってみたい。
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2004年12月21日(火) |
インドアクライミング |
久しぶりにインドアクライミングに参加した。
年間会員の登録をし、写真入りの会員証を帰りにもらった。
講師はIガイドで、インドアでは初めてであった。
参加者はNさん・Kさんと私の3人。
例のとおり腕力で登るためすぐ握力の低下をきたして、成果がいまいちであった。
腕力の低下と回復の遅さが目立った。
後半に小学生低学年4名がクライミングを開始して、私が苦労した壁を難なく登り切ってしまった。
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2004年12月20日(月) |
藻岩山登山 |
低気圧が接近中で、湿った雪が降っていたが、装備を完全にして出発した。
6本爪アイゼンを装着。T6分岐付近から所により膝までの吹き溜まりがあり、少し疲労する。
更に風も強くなってきたので、登頂せず慈啓会病院側にそのまま下山した。
下山中、みぞれから雨になったが、アウターと冬ズボンのままでとおした。
その結果、アウターは問題なかったが、冬ズボンは膝のあたりが浸水した。
低気圧は北海道の太平洋側を進んだため、たいして荒れなかった。
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2004年12月18日(土) |
藻岩山登山。Nさんと会う。 |
旭山記念公園から藻岩山を往復した。
途中で怪我をしていたNさんと久しぶりに合った。
少し登ったところで、Nさんが下山中であった。
無事回復されてなによりでした。
H16.5.13の左足アキレス腱断裂(全断裂)から、半年で登山するまでになった努力に敬服。
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2004年12月17日(金) |
ホームページに写真追加 |
「娯楽室」にオホーツク紋別空港・たきかわスカイパーク・小樽入港空母の写真を追加した。
ホームページの容量が満杯となり、その他の写真の追加を中止した。
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2004年12月15日(水) |
このHPの編集 |
トップページに「天塩富士山頂からのパノラマ」 を追加した。
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2004年12月14日(火) |
小型機でタッチアンドゴー練習 |
丘珠空港で、連続離着陸訓練をした。
機体 JA4005
TGL 5回
14時30分離陸。飛行中に留萌付近で地震が発生したため、滑走路点検のため空中待機させられた。
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2004年12月12日(日) |
藻岩山・小林峠 |
旭山記念公園→T6分岐→小林峠→T6分岐→藻岩山山頂→旭山記念公園
地図の読み方の訓練をした。
小林峠→T6分岐間を地図を参照しながら、ピークハントして通過した。
(最初のピークを除く)
登山道がほぼ並行してついているので、特に危険はなかった。
T6分岐近くでは、倒木のためピークを歩行できなかった。
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